「いろんなところに行ってみたい。いろんなところに住んでみたい」と、子どもの頃からずっと思っていた。八戸が嫌いなわけではなかった。まだ自分が出会っていない世界をこの目で見てみたいという好奇心を、ずっと抱えながら育ってきた。
初めて八戸を離れたのは18歳の時。進学を機に岩手県盛岡市で暮らし始めた。そのひと月前に受験のために初めて降り立った盛岡駅は、当時まだ東北新幹線開業前で平屋だった八戸駅とは違って大きくて、おしゃれなショップが入った駅ビルもあり、キラキラして見えた。ワクワクしながら始めた新生活だったが、1週間でホームシックにかかり、泣きながら祖父に電話した。
勇壮な岩手山と北上川に囲まれた盛岡の風景は、海沿いの小さな町で育った私には新鮮だった。しかし同時に、喪失感のような、なんともいえない寂しさに駆られた。盛岡には海がなかったのだ。「私にとって海の存在とはこんなに大きいものだったのか」とその時初めて気がついた。すこし大げさかもしれないが、子どもの頃からすぐ近くに海がある環境で育ってきた私にとって、山と川は海に変わる存在にはなり得なかったのだ。
「八戸で一番好きな場所はどこ?」と聞かれたら必ず「蕪島」と答える。子どもの頃から幾度となく家族や友人と遊びに行った場所だ。春はお祭り、夏は海水浴、初詣は蕪島のてっぺんにある蕪嶋神社が定番だった。学校行事でゴミ拾いに行ったりもした。テスト勉強が嫌で、家に帰らずに友人たちと蕪島で時間をつぶしたこともある。どこに暮らしていても、つらいことがあると八戸に帰省して蕪島のてっぺんから海を眺めた。蕪島の海はいつも、私の心を静かに受け止め、刺々しいものを少しずつ丸くしてくれた。心が整うと「また頑張ってこい」と力強く送り出してくれた。いつでも帰れる場所があるから、どこにいても私は頑張れたのだ。
学生時代は盛岡で暮らし、そのまま八戸に戻らず場所と仕事を変えながら暮らした。30代に入った頃、次の移住先を考え始めた。当時暮らしていたのは盛岡と同じように山と川に囲まれた町で、「そろそろ海のそばで暮らしたい」と思うようになっていた。その時ふと「地元」への想いが沸き上がってきた。避けていたわけではなかったが、なんとなく地元に帰るのは最後の手段と考えていた。「地元の力になるには、まだまだ力が足りない」と自分で自分を縛っていたようにも思う。でも、「地元で働きながら、家族のそばで暮らすだけでも十分に力になれるのでは」と考えが変わった。肩の力がふっと抜けた瞬間だった。
16年ぶりの地元暮らしも、あっという間に4年が経った。地元の力になれているかどうかはわからないけど、人の縁にも恵まれ、いろんな活動の機会を頂けて、毎日楽しく暮らしている。
なにより、ここには海がある。会いたいときにはいつでも、海に会いに行ける。それだけで私は十分、幸せだ。
イベント名 | Uターンを決めたのは、海のそばに帰りたかったから。 |
青森県八戸市出身・在住。
大学進学を機に八戸を離れ、盛岡・山形・仙台・名古屋・岐阜に暮らし、2016年秋に地元八戸市へUターン。青森県内の移住交流事業、婚活事業等の企画運営、大学生の実践型インターンシップや社会人の兼業コーディネートに携わる。また、八戸サバ嬢(三八地域)、南部Guild(南部町、三戸町)、ふるさとの家保存会(五戸)などこの地域のまちづくりにも関わりながら、「好きな町で好きな人と楽しく暮らす」を実践中。
趣味は旅に出ること。これまで訪問した国は47か国。