2021年、青森県の夏はとても暑い日が続きました。
続く、とは言ってもそんなに長くはありません。短い夏を満喫するため、子供たちは休みのたびにプールで泳ぎたいとせがみます。
「たまには海もいいよね」
私が、娘と娘のお友達に言うと、
「えー、海きらーい」
そんな答えが返ってきて、少し驚きました。
お友達が言うには、べたべたするからいやだそうです。娘は、サメがいるかも知れなくてこわいから、と言っていました。(その可能性はほぼありませんよね…)
子供たちがプールで遊んでいる間、私はプールサイドで思い出を巡らせていました。
私は小さい頃、休日を自然の中で過ごすのが普通でした。父がアウトドア好きな人で、海、川、山と、いろいろな場所へよく連れて行かれたものです。海釣りはもちろん、泳いで遊んだり、タープを張ってバーベキューをしたりと、海で楽しめるほとんどのことをしたのではないでしょうか。川でも釣りをしたり、飛び込んで遊んだりしました。アブにやたらと追いかけられてこわかった記憶が残っています。山には山菜をとりに出かけました。どこかの山では大きな熊用の檻があったこと、きれいな沢が流れている景色などを今でも思い出します。
海へ行くにしても川へ行くにしても、父は整備された道を行く人ではありませんでした。誰も知らないような場所を探し出し、まさに「探検」をするのが好きな人です。何とか下りていけるような場所から、ほとんど人のいない穴場を見つけては、私たちを連れて出かけました。
とにかくいろいろな場所に“連れて行かれた”。子供の頃の私には、そういう感覚しかありませんでした。
(出典:https://www.photo-ac.com/)
私が住んでいた弘前市から海まで、車で1時間はかかります。場所によっては2時間以上のドライブです。車酔いしやすかった当時の私は、海までの曲がりくねった道のりがとても苦手でした。吐き気から解放されるからなのか、それともほかの理由からか、海が見えてくると不思議に心が弾んだことをよく覚えています。
遠くに見えていた水平線が近づいてくるたびに、胸焼けのような不快感が少しずつ解けてわくわくに変わっていくのです。
車の窓を開けると香る潮風。
波の音と、木々のさざめき。
目の前に広がる濃い青と淡いあお。
どこから見ても、海は広くて、やさしくて、きれいでした。景色を見るだけでも私は大満足です。ただ、父と、それから弟たちの目的は釣り。人が少ない釣り場を探して移動しては、竿を出して投げてみます。数時間試してみて、釣れないとわかるとまた移動することもありました。
父にしてみると、子供に魚を釣らせてあげたかったのでしょう。でも実は、私にとって釣れるかどうかはあまり重要ではありません。ただ、海風を浴びていることが大好きでした。当時の私は、そんなことを口に出しませんでしたが。(ちなみに母は釣りに全く興味がなく、いつも少し退屈そうでした。)
(出典:https://www.photo-ac.com/)
熱心ではない私なのに、意外と運だけは良く、弟たちが釣れないときも私は釣れるということもしばしばありました。一番大きな魚を釣るのも、父より私の方が多かったような気がします。また、おかしなものを釣るのも私でした。
根がかりしたと思って引きあげてみると、ナマコを引っかけていました。真っ黒で、くの字に曲がった姿は今でもありありと目に浮かびます。「気持ちわるっ」…その時の気持ちもしっかり覚えています。
またある時には、海の底に落ちていたロープに引っかけたと思ったら、その先に瓶があり、中に小さなタコが入っていました。「魚を釣ろうとしたらタコが釣れた!」と大騒ぎ。その日の夕食では、タコのしょうゆ煮をひとり占めです。その時のタコは、スーパーで買うよりもおいしく感じました。
これらも今になると子供たちに笑って話せるいい思い出です。
(出典:https://www.photo-ac.com/)
時に父は真っ暗なうちから釣りに出かけることもありました。この場合、目的は「子供に釣らせてあげたい」よりも「夕飯のおかずを絶対ゲットするぞ」だったことでしょう。深夜過ぎにたたき起こされ、車に乗せられ、海まで長時間ドライブ。真っ暗な早朝の海はまだとても寒く、毛布を体に巻きつけながら釣り糸を垂らしました。
さすがにこの時は(眠いし、寒いし、帰りたい…)と思っていた気がします。早朝の方がよく釣れるから、と言っていたはずですが、爆釣だったわけでもなく、なぜこんな時間にこんな所にいるのか、自問しながら海を眺めていました。しかし間もなく気が変わっていきます。
海で見るあかつきのなんと素晴らしいこと。
それまで見てきた景色の中で、一番感動した瞬間でした。そして大人になった今思い返しても、一番感動した瞬間と言えるかも知れません。
ゆるやかに白み始める空の色。
山影からじわじわと滲み出る陽光。
きりっと冷えた空気までも金色に染まって、“神々しい”という言葉がぴったりでした。
どうにかしてこの景色を切り取って永遠にとっておきたいくらいでしたが、当時はスマホなんてなかったので、ただ今は私の脳裏に焼きついているばかりです。
大人になって3人のかわいい娘に恵まれ、下の子が自分で歩けるくらいに成長した頃、父と同様、やはり私も子供たちに海を見せたくなりました。ところが、私は残念ながら極度の方向音痴なのです。
今はスマホがありますし、経路案内を起動しながら自分で連れて行こうかとも思いましたが、父の方が海に詳しく、穴場なども知っているという理由から、父に“連れて行ってもらう”ことにしました。
「子供たちを海で遊ばせたいんだけど、どこに行ったらいい?」という私の相談に、父が決めた場所は、鯵ヶ沢の津軽港海浜公園でした。弘前市からは1時間もあればたどり着きます。
釣り好きな父なら普段は行かない、砂浜です。子供が海で遊ぶなら、ここ。やはり土地勘では父にかないません。
小さな頃から海、山、川に行っていた私とは違い、幼い私の子供たちにとっては、こんなに広い砂浜を素足で歩く感触も初めてなら、寄せては引いていく波を見るのも初めてです。上の子はわりとすぐに慣れて、波打ち際に足を浸してはしゃぎ始めました。下の子はずっとおそるおそる足先を海水につける程度。真ん中の子にとってはこわすぎたようで、近寄りませんでした。
だんだんふざけるようになった上の子も、ももが浸かるほどの深さまでいくと少しこわかったようで、波が寄せて腰まで濡れた途端、こわばった顔で逃げてきました。
(出典:https://www.photo-ac.com/)
私もわかったことがあります。
自分が子供だった時は海でよく泳いだものでしたが、自分の子供が海につかっている時は心配すぎて一瞬たりとも目が離せません。もし波にさらわれたら、と考えただけで身がすくみます。私の両親は自分の子供たちを、よくあれだけ自然の中に連れ出して、自由に遊ばせていたものだと感心する機会にもなりました。
同時に、わざわざ手間と時間をさいてたくさんのことを経験させてもらえたんだな、とも思い返します。親が「何かあるとこわいから」「行くのが面倒だから」と連れて行ってくれなかったら、私は子供たちに本当の海を教えられませんでした。教えたいとも思わなかったのでしょう。そして子供たちに語れるたくさんの思い出があることを、とてもありがたく思います。
“連れて行かれて”、本当に良かった。
プールの時間はもうすぐ終わり。ここにはあの潮の香りのする風も、耳の中で揺れるような波の音もなくて、なんだか味気ないような気さえしてきます。もし「べたべたするから海よりプールの方がいい」と言われようとも、来年の夏こそは海へ連れて行こうと心に決めて、私は帰路につきました。
イベント名 | 連れて行かれたあの海へ |