2023年7月の三連休に東北を巡る旅をしました。
秋田、岩手を巡り、さらに北上して青森を目指しました。せっかくここまで来たのだから、竜飛岬と大間のマグロを制覇して帰ろうと思いました。
その道中に立ち寄った仏ヶ浦が、とても美しく異世界だったので、その魅力を伝えるべくレポートします。
この日は、大間町を目指し青森市から北上を開始。青森市から野辺地に出たら国道279号線を北上します。さらに国道338号線を通り、大間町を目指します。
道中なぜか私は、青森には仏ヶ浦という奇妙な岩が立ち並ぶ海岸が、あるらしいということを思い出しました。Google Mapで調べたら、ルート上にあるということなので仏ヶ浦を見に行くことにしました。
仏ヶ浦は、陸路から向うには本当に不便な位置にあります。そして、海岸へ向う道は一本の遊歩道のみ。他のルートとしては、海上から船で上陸するという方法があります。このようにアクセスが困難なことから、1989年日本の秘境100選にも選ばれています。下北半島の西側は、たまに集落がある他は、山と海だけです。このような山道を走っていると日本の原風景の中にいるような気がして心が安らぎます。
下北半島西側に位置する佐井村にある仏ヶ浦は、約1500万年前、海底火山から噴出した火山灰が固まり、長年の風雪や荒波によって浸食され、独特の奇岩が立ち並ぶスポットになりました。現在は国の天然記念物に指定されています。
・青森県天然記念物(1934年)
・国の名勝および天然記念物(1941年)
・日本の秘境100選(1989年)
・日本の地質百選(2007年)
下北半島は本州最北端の半島で、約1億5千万年前から地形が形成されはじめ、現在に至っています。
下北半島は、波食地形の「ちぢり浜」や「恐山火山群」などバラエティに富んだ地形であることから、下北ジオパークと言われています。下北ジオパークには18のエリアがあり、仏ヶ浦もその1つです。
仏ヶ浦海岸の白い奇岩は、「凝灰岩」で形成されています。もろく崩れやすい凝灰岩は、長年の風雨や波によって削られ、今に至ります。
長年の浸食により形成された岩は細長く、仏のような形をしていることから、「如来の首」「極楽岩」「五百羅漢」「十三仏」など、仏に由来する名前がつけられています。
大正時代、仏ヶ浦は「仏宇陀」と呼ばれていました。「仏宇陀」は、アイヌ語の「ホトケ・ウタ」に由来します。下北半島には、近世まで下北アイヌの集落がありました。下北アイヌが、日本古来の地蔵信仰と結びつけて、ホトケ・ウタと名付けられたと言われています。
青森市から約4時間かけて仏ヶ浦にやってきました。
駐車場に車を止め、海岸を目指して約15分程遊歩道の下り道を歩きます。夏の青々しい木々に囲まれた駐車場。海岸までの遊歩道の高低差は100m近くあります。さすが日本の秘境100選でもある仏ヶ浦。
「本当に、この下に白い奇岩があるのだろうか?」という一抹の不安を抱きながら進むこと15分、海岸に到着すると、それまでとは別世界が広がっていました。まさに川端康成の『雪国』の冒頭文「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という描写と似たような情景の変化がありました。
深緑に囲まれた木々を抜けると、そこには白い地面に白い奇岩が立ち並ぶ異世界が広がっていました。照りつける太陽の光が白い地面に反射してとてもまぶしいです。そして、太陽の光が海の底を映し出すほど、透き通った海岸が目の前にありました。
正直な私の感想ですが、「ここは日本なのだろうか?」と思いました。仏ヶ浦の風景は、タイ南部の島々を思い出させる光景でした。極楽浜というほぼ360°の岩に囲まれた浜があります。極楽浜に1人たたずむという贅沢な体験をすることもできました。
帰宅後ネットで調べると、極楽浜には「不老長寿の水」があり、この神聖な水を飲むこともできたようです。
下北半島には全国的に有名なパワースポット恐山があります。あの世に最も近いと言われる恐山。その真西に仏ヶ浦はあります。西の方角には、浄土(あの世)があると考えられており、「死者は西に向い、西から帰ってくる」と信じられています。仏ヶ浦には立仏のような形をした奇岩が多数あることから、あの世とこの世の玄関口と言われるようになりました。実際、恐山の修験者たちは隧道や狭い道をかき分けて仏ヶ浦に進み、この場所を最後の修験の場としていました。また、宗教家の青木慈雲も仏ヶ浦を霊界の入口であると言っていました。このようなことから仏ヶ浦は、地元の人たちに神聖な場所として昔から大切にされています。
近年SNSで仏ヶ浦の美しい景色が広く認知されたため、多くの観光客が訪れています。私が仏ヶ浦を訪れた時も、三連休中ということもあり、多くの人が訪れていました。
イベント名 | 海の日連休、東北巡りの旅〜仏ヶ浦〜 |