2021年7月下旬、約10年ぶりに津軽半島をドライブしてきました。ふと、広い海を眺めたくなったからです。
内陸である弘前市に暮らしている私は、時々こうして海に癒やされたいという欲に駆られることがあります。
本州最北端の半島のひとつで、「龍飛崎」や「高野崎」があることで有名な場所です。この半島は、湖や山岳などの様々な自然に恵まれている上、日本海・津軽海峡・平舘海峡・陸奥湾と4つの海に面しているため、数々の“海見えスポット”があります。
私はもともと津軽の生まれで、津軽弁のネイティブスピーカー(笑)でもあるため、津軽半島の海に対してそれほど「特別な場所」という認識は持っていないはずでした。しかし、10年の時を経て改めてその海を間近で見て思ったことは、「たしかに特別だ」ということでした。
午前10時頃、自宅のある弘前市を発ち五所川原方面に向かって車を走らせ、半島の左側から北上し龍飛崎、高野崎から見える海を楽しんだ後、今度は半島の右側を南下して弘前市に戻ってきたため、結果的に津軽半島をぐるりと一周してくるかたちとなりました。
今回のドライブは、私、夫、私の母のほか、2人の幼い息子たちも連れていたので、長い道のり、途中で飽きてしまうかな?と少々の不安もありました。
しかしそんな不安を抱いたのもつかの間、まだ数回しか見たことのなかった海の風景は子どもの目にも新鮮だったようで、終始楽しそうに過ごしてくれました。
久しぶりにおばあちゃんに会えたということもあり、息子たちはとてもハイなテンションになっていて、ずいぶん賑やかな車内でした。
まず目指したのは龍飛崎と高野崎。とはいえ、海沿いの道路をひた走るとなると、常に海が視界に入ってくることになります。目的地のみならず、その道中においても海の景色を楽しむことができます。
道すがらに姿を現す山並みも、青々としていてきれいでした。
出発から1時間半ほどで、やっと車窓 からも海を確認できる地点まで辿り着き、思わず車を停め、水際まで近づいてみました。
これまでに幾度となく目にしているはずの海なのに、いざ目の前にすると毎度気持ちが高揚してしまいます。海の持つ壮大な生命力のようなものに、圧倒されるからでしょうか。
「脇元海岸」と記された柱が立っていました。
ここは、人が集まるような雰囲気の場所ではないのですが、のんびりと穏やかに時を過ごせそうです。
水面がきらきらと光っています。
たっぷりと海の香りを吸い込んで、再び車に乗り込み、引き続き半島の北端を目指しました。
車の運転は夫に任せきり、水平線を眺め続けていると、なにやら叙情的な気分になってきました。
ずっとハンドルを握り続けている夫にも、心から嬉しそうに息子たちと話してくれている母にも、元気に成長してくれている我が子たちにも、とにかくなにもかも全てに、「ありがとう」と言いたい…。そんな温かな気持ちになりました。やはり海には、不思議なパワーがあるようです。
目まぐるしく入れかわっていく豊かな自然に感嘆しつつ、龍飛崎ももう目の前というところまでさしかかると、運転中の夫が突如信じられないほどの大きな声で「ああー!」と叫ぶので、たまげた私が前方に目をやると…そこには2匹の野生の猿がいました。
「お猿さんだ!」と息子たちも大変驚いた様子で、その猿たちの横をゆっくりと通過した後も、しばらく後ろを振り返ったままでした。
海を目当てに ドライブに来たのに、まさか野生の動物にも出会えるなんて、予想外の出来事でした。息子たちにとっても、素敵な思い出になったことでしょう。
さて、ここ数年、ずっと龍飛崎から広く海を見下ろしたいと願っていたわけですが、ついにその時がきました。龍飛崎に到着です。
期待を裏切らない、文句なしの絶景。遥か遠くまで海が続いていました。
なんだか、いつもの世間とは全く違う、神様の国にでもいるかのような心地でした。
このカーブづくしの道は、竜泊ラインという名で親しまれている国道339号線です。こうして見るとものすごい曲がりくねりです。
ちなみに国道339号線といえば、「階段国道」の存在でも知られていますね。
この日は晴天。しかし、この辺までくると周囲はあたり一面真っ白な霧もやに覆われていました。
あいにく北海道の地を確認することはできませんでしたが、遠くに見える津軽海峡の迫力は十分でした。
そして、龍飛崎といったらこの歌謡碑。
ボタンを押すと、石川さゆりさんの名曲「津軽海峡冬景色」が流れだします。入れかわり立ちかわりその場に居合わせた人が順次ボタンを押していくので、もはやBGM状態です(笑)インパクトのあるこの石碑を見ると、10年前のドライブの記憶がより鮮明に蘇ってきました。
「人間失格」や「走れメロス」などの著者として名の知れている作家、太宰治。
龍飛崎には、その太宰治にまつわるものがいくつかあります。
彼が親友と宿泊したという、旧奥谷旅館。海のすぐ目の前に建っています。
この建物内の一室から、海を肴にお酒を嗜んだのでしょう。
現在は、龍飛岬観光案内所「龍飛館」として、外ヶ浜の町によって大切に守られています。
小説「津軽」の文学碑。
奥にはうっすらと水平線も見えます。
太宰治は、自身の作品のひとつある「津軽」の文中で、龍飛崎のことを“本州の袋小路”と形容しています。この文学碑にも、しっかりとそのワードが刻み込まれていました。
余談ですが、この小説の中には、太宰治が龍飛付近の海沿いの道を歩いた際の波風をとても印象的に描写している箇所があります。そこで、前述のように“本州の袋小路”と述べるに至っているのですが、そのほかにも笑いのポイントや泣きのポイントがいくつもあるとても面白い作品です。まだ読んだことのない方には、ぜひ一度手に取ってみてほしいと思います。
いつ見てもイケメンです。
太宰治が見た海を、今こうして私も見ている。そう思うと、嬉しいのひとことに尽きました。
海辺ならではのこの鳥。たくさん飛んで疲れたのでしょうか。精悍な顔つきで一休みしています。なんとも魅力的なフォルムです。
第2の目的地だった高野崎。ここは、私イチオシの海見えスポットです。
駐車場に車を停め、きれいに整備された芝生の中の道を歩くと、ほどなくしてこの景観が広がります。
西日が差す時間帯だったこともあり、どこかノスタルジックさを感じてしまう眺めでした。
優しく、そして力強くもある津軽半島の海。10年前にも見た景色が、変わらぬままで私を迎えてくれました。
息子たちの心にはどう響いたのか、もう少し大きくなったら意見を聞いてみたいものです。
目的地を堪能しきった後の道にも、すぐそばに海の気配がありました。
半島の付け根である青森市街まで戻ると、一気に「日常に帰ってきた」ような感覚に支配されました。それは、今まで自分が「特別な場所」にいた証拠であると思いました。
10年前の私が見た海と、今現在の私が見た海。どんな変化が見られるのか、少し楽しみでもありました。しかし、その両者の間に、大きな違いはなかったように思います。私が日々生きてきたのと同じように、海も絶えずにずっとここに在り続けたのだなと考えていると、心の中にポッと「海と人間は似ている」という言葉が浮かびました。海も私たちと同じように、いろんな表情を、そして心情を持っているように見えたからです。あるいは、人それぞれの持つその時々の心の状態を、そのまま温かく受け入れてくれる大きな存在とも言えるのかもしれません。その包容力を求めるからこそ、人々は海に癒やされようとするのではないでしょうか。
ドライブを終えて早一ヶ月ほど経ちますが、未だその余韻は抜け切れていません。
雪が降る前に、もう一度 足を運びたいなと考えています。
今度はどんな表情を見せてくれるのか、今からとても楽しみです。
イベント名 | そのままでいてくれた、津軽半島の海 |
弘前市在住。
のらりくらり楽しく生きています。
青森が大好きです。