レポート
2020.07.02

【海を愛した写真家】故・工藤正市さんが撮影した青森の記憶写真<後編>

青森の海を愛し、青森県内に生きる人々の笑顔と風景スナップを撮影し続けた写真家、故・工藤正市さん。

<前編の記事はこちら>

2014年に他界された工藤さんのお写真を、娘の加奈子さんがどのような経緯でInstagramにアップするようになったのかをお尋ねしたところ、まるでドラマのようなお話をお伺いしました。

■見つかった大量のフィルム

(以下:工藤加奈子さん談)

父が亡くなった後のことでした。遺品を整理していたら、押し入れから「紙焼き写真」と少しの「ネガフィルム」を発見しました。

紙焼き写真は青森県立郷土館に保管していただく事になりましたが、ネガの引取は難しいということで、そのまま家に置いておきました。

それから2年が経ち、私の母が施設に入ることになりました。荷物を整理していたら、タンスの端っこからカラーのフィルムが出てきました。

かなり汚れていたのですが、写真館にお願いしてプリントしてもらいました。 そこには、1歳ころの兄と母、父が務めていた新聞社の社内、そして青森市内で働く人々の姿が写っていたのです。

それを見た母はとても喜び「これは他のネガも見たら面白いのではないか?」と、再度、押し入れや天袋を見たのです。

すると、ドンドンドーン!と、天袋の奥の方から大小の段ボールに入った、むき出し状態のネガフィルムが大量に出てきました。

そして東京に住む私の夫が「写真を紙焼きにしないでデータ化にしよう」と言い始め、フィルムをスキャンする作業をしてくれることになりました。

私は青森で母の看病していたのですが、その間に夫は東京でずっと作業をしてくれたので、母にたくさん父の写真を見せることができました。母はとても喜んでくれました。 

■Instagramに掲載、そして、

2018年の年末には、現在Instagramに掲載しているほとんどの写真はデータ化が完了しました。

「いつかお父さんの写真集を作れたらいいね」と、母や兄とも話していたのですが、その後、母の病状が悪化し、翌年に天国の父の元へ旅立ちました。

私も仕事に復帰しましたが、このコロナ禍で予定していた仕事がキャンセルになってしまったので、この機会にと、父の写真をInstagramで発表しはじめました。   

父の写真は、娘の私から見ても「良い写真だな」と思うので、やはり多くの人に見てもらいたいという気持ちでした。また、もし写真に「自分の家族や知り合いが写っている」という人が現れたら、きっと喜んでくれるだろう、という思いもありました。

私自身は写真に写っている時代や場所などの情報がなくても楽しめるとは思っていますが、やはり具体的な情報がわかれば、写真の見方が深まり、写真がますます活きると思います。

■海外からの反響

Instagramに写真を載せたところ、日本だけではなく海外に住んでいる方も写真を見てくれて、フォロワーも増えました。

今後、写真の詳しい情報がわかり、海外に住む方々にも青森の社会背景や、今では消えてしまった文化を正しく伝えられたら良いなと思ってます。

6月に入り、1週間で800人くらいのフォロワーが増えたのですが、その多くは南米チリの方々でした。海外の人にとっても、父が撮影した古い青森の写真には何か響くものがあったのだなと驚いております。

多くの方が「写真集を作ったら教えてほしい」とメールをくれます。 もし、日本に限らず世界の方々に喜んでもらえるなら、新しく最良の方法を考えていきたいと思います。

■追いかけた夢

工藤正市さんの数々の写真を見ていると、青森県内のあらゆる地域で撮影されたということがわかります。 

背景に写るお店の看板や文字、今でも残る海や山の地形などから、その多くは青森市、弘前市、そして龍飛岬にも程近い西海岸や、陸奥湾沿いの下北半島から撮影された写真だということもわかります。

(以下:工藤加奈子さん談)

街で撮影された写真の多くは、青森市沖館地区にあった自宅から勤め先の新聞社へ通勤中に写したスナップだと思われます。

自家用車を買うまで歩いて通っていたそうです。 それ以外の写真は、取材のついでなのか、撮影旅行に出かけたのか、よく分かりません。

この頃に父はカメラの全国誌に写真を投稿し、土門拳さん、濱谷浩さん、木村伊兵衛さんなどが審査員を務めたランキングの常連として数年間活動したようです。

そして彼らが青森へ撮影旅行に来る際には案内役として帯同したそうです。

注目の新人写真家たちが座談会をする企画で東京に呼ばれたりもしたのですが、みんな意識力が高く、社会問題をテーマに論じる方が多く「青森のスナップ写真しか撮れない自分では彼らに太刀打ちできない」と思ったのだそうです。

また父が有名になるにつれ、本業と写真家活動の両立が息苦しくなり、すっぱり投稿をやめたとのことです。つまり写真家の夢に破れて、青森にとどまることを決めたわけです。

だから今、私がこうしてInstagramで写真を公開していることは、父の本意ではないかもしれません。でも父はきっと、写真家を目指した夢と思い出が詰まった写真たちを、捨てられなかったのだろうと思います。

■遥かなる時を超えて

今回、工藤加奈子さんにメールで取材をさせていただき、工藤正市さんの人柄や生き様が、私は少しだけ見えたように思えます。

そして改めて、工藤正市さんが撮影された写真を見返してみると、2020年の現代に生きる我々へ向けて、何かメッセージを伝えるために撮影されたような、そんな気がしてなりませんでした。

誰もが携帯電話やスマートフォンを手にし、インターネットを通じて世界中と繋がれる現代。技術が進み、カメラも信じられないくらいに進化しました。

でも、人間の本質は果たしてどのくらい進化したでしょう? いま身の回りで起きている奇跡というシャッターチャンスに、どれくらい気がつけているでしょう?

写真家になるという夢を追いかけ、夢に破れて故郷に残ったという工藤正市さん。しかし、私は「写真を通じて人に感動を与えられる人間こそが、真の写真家」だと信じております。

生涯に渡り、故郷・青森の海を愛した写真家。「俺が愛した青森を、次の世代に伝えてくれ」という無言のメッセージを、私は受け取ったような気がしました。

彼が撮影した青森の海をこれからも大切にし、カメラを片手に、私もまた歩いていこうと思いました。

■工藤正市 Shoichi Kudo

1929年青森市生まれ 旧制中学卒業後 東奥日報社に入社

2014年 逝去 享年84

1950年代、写真雑誌に投稿。新人写真家として注目されたが、その後は新聞社の仕事に専念した。

工藤加奈子さんが管理されるInstagramアカウントはこちら:https://www.instagram.com/shoichi_kudo_aomori/

イベント詳細

イベント名【海を愛した写真家】故・工藤正市さんが撮影した青森の記憶写真<後編>

レポーター紹介

ハリヤマカズキ

故郷の青森市を拠点に写真家&ライター活動をしている。季節に関係なく全身で海を感じ、海産物に囲まれていると幸せを感じる。 

Instagram:https://www.instagram.com/hary_k_photo/

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