レポート

「県をまたぐ移動自粛」よりも大変だった時代の名残、野辺地町「藩境塚」

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今年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の拡大防止の為に、様々な自粛のお願いが全国で発表され、まだまだ油断ができない状況が続いております。

その中でも特に「県をまたぐ移動の自粛お願い」というものは、誰もが経験したことのない緊急事態だったのではないかと思います。

しかし今から150年前ほど前の江戸時代までは、青森県の中でさえも「藩をまたぐ移動」が容易ではなかった時代もあったと、みなさまご存知でしたか?

■「藩境塚(はんきょうづか)」と「馬門御番所(まかどごばんしょ)」

藩をまたぐ移動が大変だった時代。その名残を現代に伝える史跡「藩境塚(はんきょうづか)」が存在するのは、陸奥湾に面した青森県の野辺地(のへじ)町。

「野辺地」というの名の由来はアイヌ語の「ヌプンペッ」、意味は「野中を流れる川」だという説もあるそうです。

下北半島の付け根に位置し、古くから北前船を始めとした海の交通の要所として栄えた港町。復元された北前船の「みちのく丸」や、日本でも最古と言われる石の常夜燈(じょうやとう)は、野辺地町の漁港にほどちかい常夜燈公園で見ることができます。過去の参考記事はこちら

野辺地町は海の資源が豊富な陸奥湾にも面しておりますので、特産品には「地蒔きほたて」「葉つきこかぶ」「かわらけつめい茶」など、なかなか希少なものが多いことでも有名です。

さて、この野辺地町の国道4号線沿いにひっそりと存在する県史跡「藩境塚」

流れの早い国道沿いの為、何気なく通過してしまう方も多いのではないかと思われます。

その名からもご察しいただけるかと思いますが、ここはつい150年ほど前の江戸時代まで「津軽領」と「南部領」の境目があった場所なのです。

旧奥州街道沿いに設けられた「馬門御番所(まかどごばんしょ)」では、江戸時代には藩境として通行人や物資の出入りを厳しく取り締まっていたそうです。

「県をまたぐ移動の自粛お願い」などという優しいニュアンスではなく、怪しい輩は即「御用!」にされたことでしょう。

そして御番所だったであろう建物は、今では公衆トイレとして使われていて・・・と、何か不思議だな?と思って調べてみると、実際に馬門御番所が存在したのはここから1kmほど野辺地町方面へ移動した場所だったとのこと。つまりここは「御番所風に復元された公衆トイレ」だったのです。面白いですね!!

すぐ隣には復元された「高札」もありました。覚書きとして「手形が無い者は武具や火薬、人、染料などの持ち出しを堅く禁じる」という内容が書かれてました。

ちなみに南部領から津軽領へ向かうには、この馬門御番所で許可をもらい、さらに現在の平内町にある「狩場沢御番所」で許可を得る必要があったとのこと。き、厳しすぎないかい・・・?

■藩境の名残がある海の公園

復元された馬門御番所隣の駐車場の脇に、水路と共に降りて行ける歩道がありました。ここが藩境塚へと向かう通路になっております。

歩道を下って行くと、芝生の広場が広がっております。松の木と共に桜の木も数本ありましたので、春には海と桜のコラボが楽しめるのではないかと思います。

芝生はとてもきれいに整備され、海に面したベンチも設置されておりました。国道からだいぶ離れていて密にもなりにくく、なかなか静かで気持ちのよい場所です!

陸奥湾と、野辺地町の沿岸部がしっかりと見られました。晴れている時は下北半島までも見渡せる大パノラマスポットになるようです。

すっかり海に見とれていたのですが、どこが藩境塚?と思い見渡してみたところ、古墳のようなものがいくつかありました。これが藩境塚のようです。

■たしかに存在した藩境

塚は南部藩側に2基、小さな川を挟んで、津軽藩にも2基の塚が並んでおりました。

川を挟んで、「従是東南盛岡領」、「従是西北津軽本次郎領分」と書かれた木製の標識が目に入りました。

盛岡領、盛岡といえば今では岩手県の県庁所在地です。まさかこの青森県の陸奥湾沿いで「盛岡」という地名が書かれている古い標識が存在するとは。

そして津軽領。過去にはこの藩境塚の敷地内で「津軽VS南部の綱引き大会」という面白いイベントも開催されたこともあるそうです。

ちなみにこの藩境塚の間に流れる小さな川ですが「二本又川(ふたまたがわ)」もしくは「境の川」と呼ばれているそうです。

現在では小さな橋がかけられていて、もちろんですが自由に行き来することができます。

境の川を流れる水は、そのまま海岸へと流れ出し、そして陸奥湾の海水へとなっていきます。

八甲田山などに降った雪が解けて土に染み込み、それが海へと流れていきます。この川もまた、陸奥湾の良い環境を作っている一つのポイントになっていたのですね。

「県をまたぐ移動を自粛しないといけない」そんな前代未聞の事態に振り回されてしまった令和2年。

しかしほんの150年ほど前までは、藩をまたぐためにもっと厳しい時代があった。その事実を現代に伝える野辺地町の藩境塚。

どんなに厳しい時代でも、海を眺めたいという人々の気持ちは、今も昔も変わらなかったのだろうなと感じました。

イベント名「県をまたぐ移動自粛」よりも大変だった時代の名残、野辺地町「藩境塚」

レポーター紹介

ハリヤマカズキ
故郷の青森市を拠点に写真家&ライター活動をしている。季節に関係なく全身で海を感じ、海産物に囲まれていると幸せを感じる。 

Instagram:https://www.instagram.com/hary_k_photo/
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