青森が誇る海の幸といえば、ホタテ、マグロ、イカなど、さまざまあります。
その中でもひときわ存在感を放っているのが「ヒラメ」です。
では一体なぜ、ヒラメは青森の県魚になったのでしょうか。
今回は青森の海が生んだ海の幸・なぜ「ヒラメ」は青森の県魚になったのかについて、どこよりもわかりやすくご紹介します。
県魚(けんぎょ)とは、日本の各都道府県がその地域を象徴する魚を選んで定めたものです。
一般的に、海に面した県なら海の魚、川が多い県なら淡水魚が選ばれる傾向があります。
また特定の魚が地元の食文化や観光に関係していたりする場合にも選ばれることが多いです。
県魚を選ぶ目的は、都道府県が自分の地域の自然や文化、歴史、産業などをアピールするために、特定の魚を「県のシンボル」として選びます。
高級魚として名高いヒラメは、青森ではなんと「県魚」に指定されています。
では、一体なぜヒラメは青森の県魚になったのでしょうか。
こちらではヒラメが青森の県魚になった3つの理由について解説します。
1つ目の理由は放流尾数が日本一だからです。
放流尾数とは、魚やエビなどの水生生物を自然の川や湖、海などに放流する時の数のことです。
元々、青森の海はヒラメがたくさん獲れていた海でした。
ところが過度な漁業や環境の変化でヒラメが大きく減ります。
漁師さんの生活を守るためにも、ヒラメの数を増やす必要がありました。
青森県は技術が整った平成2年(1990年)から、毎年200〜400万尾という大量の稚魚を放流するようになりました。
2つ目の理由は漁獲量が日本一だからです。
かつて青森県のヒラメの漁獲量は、昭和52年(1977年)から平成元年(1989年)にかけて最も減少し、平成元年には約200トンまで落ち込みました。
この数字は、青森県のヒラメ漁獲量の歴史の中で最も低い数字です。
その後、青森県は平成2年(1990年)から、稚魚の放流、小さい魚を逃がす、休漁期間を設けるなどをおこないヒラメを守る対策を実施します。
その結果、平成12年(2000年)には漁獲量が過去最高の1,897トンにまで回復しました。
また平成7年(1995年)から4年連続で日本一になるなど、ヒラメの漁獲量は国内トップクラスに戻りました。
3つ目の理由は高品質で美味しいからです。
青森の海は、海水が冷たく、プランクトンなどのエサが豊富な環境です。
津軽海峡の海流は速くて強いので、ヒラメはそこで泳ぐことで、身がギュッと引き締まり、甘みや旨みが強くなります。
また青森の漁師さんは、ヒラメを傷つけずに新鮮なまま獲る技術を持っています。
獲った後もすぐに冷やしたり、丁寧に扱うので、鮮度がバッチリ保たれた状態で、お客さんの待つ食卓に届けることが可能です。
青森の海で獲れたヒラメは刺身にすると甘く、焼き物や煮付けにすると旨みが引き立ちます。
シンプルに食べても絶品です。
実はヒラメが青森の県魚になったのは昭和62年(1987年)で、最も不漁の時期でした。
昭和62年に、県魚になった理由は漁獲量が少なかった時期だからこそ、ヒラメを地域のシンボルにして復活を目指したかったからといわれています。
「ヒラメを青森の宝にしよう!」と県民の意識を高めるために選ばれたといわれています。
ただし当時でも青森の海で獲れたヒラメは東京の築地市場などで「高品質で美味しい」と高く評価され、高いブランド力を持っていました。
ヒラメが昭和62年に青森の県魚に選ばれようとした時に、実は青森の海で獲れるライバル魚と壮絶なバトルがあったといわれています。
その魚とは大間で有名な「マグロ」です。
この時、軍配はヒラメにあがります。
選考理由はマグロは回遊魚で青森には落ち着かないが、ヒラメは地元にどっしり根付くからだそうです。
ちなみにこの話は青森に伝わる都市伝説といわれています。
通常、青森の海で獲れるヒラメは30〜50㎝くらいのものが大半です。
ところが、津軽海峡では1mを超える巨大なヒラメが獲れることがあります。
津軽海峡で、巨大なヒラメが獲れる理由は津軽海峡は暖流(津軽暖流)と寒流(親潮)がぶつかる場所で、ヒラメのエサになるプランクトンや小魚(イワシ、カタクチイワシ、キスなど)が多いからです。
ヒラメは肉食で、エサが食べ放題であることから津軽海峡のヒラメは巨大化したといわれています。
また青森の海は漁業管理が厳しく、乱獲がないことも、ヒラメが長生きして大きくなることに関係しています。
現在青森県は豊富な漁獲量を誇っていますが、持続可能な漁業を目指してヒラメの資源保護にも力を入れている県です。
稚魚の放流や漁獲制限など、将来にわたってヒラメの恵みを享受するための取り組みも
行われています。