かつて、津軽海峡は「絶望の海」と呼ばれていました。
その理由は、四季を通じて猛々しく、荒れ狂う波と容赦ない風が支配する「航海の難所」だったからです。
そのため多くの人たちが行く手を阻まれ、時には愛する人との永遠の別れを突きつけられることさえありました。
そこで造られたのが「青函トンネル」です。
では、青函トンネルとはどんなトンネルなのでしょうか。
今回は、昭和が生んだ世界一の海底インフラ青函トンネルについて、どこよりもわかりやすくご紹介します。
青函トンネルとは、青森県と北海道を結ぶ海底鉄道トンネルのことです。
開通は1988年(昭和63年)です。
全長が約53.9 km、海底部は約半分の23.3km、最深部の深さは海面から240mあります。
海面下240mとは、ビルに例えると、1フロアあたり約4mと換算して60階建てのビルがすっぽり沈むほどの深海です。
1994年に英仏海峡トンネルに抜かれるまでは海底部分の長さで世界一でした。
「もう二度と、愛する人をこの海で失いたくない。」
青函トンネルがつくられた理由は、昭和29年、猛烈な台風によって多くの命が失われた「洞爺丸事故」がきっかけです。
当時、日本列島を襲った猛烈な台風15号は、函館港のすぐ外で青函連絡船「洞爺丸」を襲い、死者・行方不明者は合わせて1,155名という大惨事を起こします。
これはタイタニック号の事故に匹敵するほどの史上最悪の海難事故でした。
また洞爺丸だけでなく、同時に5隻の青函連絡船が遭難、合計1430人もの命が奪われました。
たった一晩で、これほど多くの命が冷たい海に飲み込まれてしまったのです。
「飛行機ならひとっ飛びだし、船なら一度に大量に運べる。なのになぜ、わざわざ海の下に鉄道を通したの?」
ほとんどの人はそんな疑問を抱くのではないでしょうか。
青函トンネルが「海底鉄路」として造られた理由は、対岸に人を天候に関係なく、安全に確実に運びたかったからです。
飛行機(空路)は速いですが、一度に運べる量には限界があります。
航路は膨大な量を運べますが、海が荒れると大変危険です。
そこで浮かび上がったのが、何百トンもの物資を一気に運べる「鉄道」という選択肢でした。
海底鉄路であれば、どんな猛吹雪の日でも、24時間365日、休むことなく物資を送り続けることができたのです。
一般的に、トンネルは人や車は通れます。
ところが青函トンネルは鉄道のみで、人や車は通れません。一体なぜでしょうか。
その理由は主に次の3点です。
青函トンネルにとって、安全を100%コントロールできる鉄道こそが、唯一の選択肢だったのです。
青函トンネルでは、役割分担ができています。
新幹線が運んでいるのは人などの乗客です。
それに対し貨物は、食料などの大量の物資を運んでいます。
青函トンネルの鉄道は、かなりユニークな鉄道です。
それは1つの線路に「新幹線」と「貨物列車」を走らせていることです。
一般的に新幹線と貨物列車は、幅が異なります。そのためそれぞれ2本づつ合計4本のレールが必要です。
ところが青函トンネルでは、新幹線と貨物列車で合わせて3本のレールしか敷かれていません。
その理由は「三線軌条(さんせんきじょう)」という仕組みを採用しているからです。
三線軌条を採用すると、新幹線と貨物列車で合計3本のレールで済みます。外側の広いレールが新幹線用で、外側と中間の狭いレールが貨物列車用です。
ここで「トンネルを2つ掘って、別々に走らせればよかったのでは?」と思う方もいるかもしれません。そんな中、当時のエンジニアたちは、限られたスペースを最大限に活用し、1ミリの無駄もなく使い切ったのです。
三線軌条は、昭和のエンジニアたちが考え出した狭い青函トンネルの中を、2つの列車が効率的に走行できるための知恵の結晶でした。
青函トンネルでは、列車の「ガタンゴトン」というレールの継ぎ目音が一切聞こえません。
新幹線が青函トンネルへ突入した瞬間、まるで氷の上を滑るような、異様なほど滑らかな走りを感じることでしょう。
その理由は、青函トンネルは驚くべきことに全長約54kmにわたって、レールの継ぎ目が1つも存在しない「スーパーロングレール」が敷かれているからです。
普通の線路なら必ずあるはずの「継ぎ目」を、職人たちが1つずつ溶接し、1本の長いレールを実現させてしまったのです。
青函トンネルはスーパーロングレールにすることで、音や振動を削減し、安定走行や乗り心地などを向上させました。