青森県むつ市にある大湊地区は、明治時代から旧海軍(いまの海上自衛隊)の港として使用されてきました。大湊基地はむつ湾と津軽海峡に面しており、本州最北端の基地です。国際海峡である宗谷海峡と、津軽海峡の防衛・警備のため、明治時代につくられました。釜臥山があることや、芦崎湾の地形が防御にむいていることから設置されたのだそうです。
海上自衛隊大湊地方隊は北方海域の警備を担当し、下北半島のきびしい寒さや、風雪にさらされる過酷な環境のなかでも、日々の任務に取り組んでいます。
むつ市大湊地区には、そんな海上自衛隊の歴史や当時のおもかげを身近に感じられる施設が多く存在しています。
今回は、大湊地区を散策しながら、大湊海上自衛隊にまつわる施設や建物を見学してきました。海軍のまち、大湊の魅力を紹介していきます。
明治35年に海軍大湊水雷団が創設され、大湊地区は軍港となりました。もとは北海道の室蘭に設置予定でしたが、その当時はロシアの脅威が迫っていたため、大湊に変更されたといわれています。
日露戦争では津軽海峡の警備を担い、その後の太平洋戦争では大湊警備府に昇格し、北方海域の警備や漁場の安全確保、救難救助などに従事しました。
終戦後の1945年11月に一度廃止されましたが、1953年に大湊地方隊として復活を遂げました。それ以降、北の防衛の要となっています。
大湊海上自衛隊の任務は、海域の防衛・警備だけではありません。東日本大震災では、現地まで支援物資を届けたり、海上自衛隊大湊音楽隊による演奏会で子どもたちに笑顔を届けたりと、その活動は多岐にわたります。
また、近年では自衛隊の基地開放やイベントが催され、多くの観光客が大湊を訪れるようになりました。大湊海軍基地の存在が地域社会に与えた影響ははかり知れず、教育や文化、経済面においても多くの恩恵をもたらしました。
大湊海上自衛隊は、海域の安全を守りながら、わたしたちの暮らしもまもってくれているのです。
大湊地区には、海軍の歴史を学ぶことができる施設や史料館も充実しています。そのなかでも、今回は4つのおすすめスポットを紹介します。
「水源池公園」は、1902年に海軍専用水道施設として起工し、1945年まで使用されました。その後大湊に引き継がれ、1976年までむつ市の上下水道として使用され続けました。旧海軍ゆかりの地として、2009年に国の重要文化財に指定されています。
公園内には旧海軍が植えた桜の木が残っており、むつ市の桜の名所として、春には多くの人々が訪れます。そのほかにもつつじが植えられており、四季折々の姿を楽しめますよ。
水源池公園内には「北の防人大湊 弐番館」が併設されています。石造りの建物で、芦崎の成り立ちを解説した床地図や、全国のジオパークのパンフレットなどが展示されています。
「北洋館」は大正5年に建てられた、海上自衛隊大湊地方隊の史料館です。明治35年の帝国海軍水雷団開庁から、いまに至るまでの貴重な史料が1,000点以上展示されています。史料のほかに、数々の写真や絵画、軍服なども展示されています。
北洋館は釜臥山からとれた安山岩を使用して建てられており、当時にしては珍しい洋風な外装が特徴のひとつです。昭和54年には、大正・昭和期の名建築として、全国20,000件のなかから選ばれています。
一般公開されており、入館料は無料です。
当時の大湊海軍要港部庁舎をイメージしてつくられた「北の防人大湊 安渡館」。外観や内装は明治・昭和を感じさせるつくりで、お土産コーナーや多目的に利用可能な交流スペースなどが設置されています。
以前はカフェテリアがあり、有名なご当地グルメ「大湊海自カレー」を食べられたのですが、2024年現在は閉店しています。
旧海軍の歴史だけではなく、むつ市・大湊の情報や歴史を学べる重要な施設です。
「北の防人大湊 海望館」は、安渡館のすぐそばにある展望台です。海抜55メートルの高さからは、むつ湾や芦崎湾に停泊する海上自衛隊戦艦を一望できます。天気がよい日には、尻屋埼方面も肉眼で確認できるのだとか。
夜間はライトアップやイルミネーションもおこなわれており、昼間とはまたちがった雰囲気を楽しめますよ。
大湊海軍基地の設置は、むつ市大湊の発展に不可欠な要素となっています。戦時中の防衛拠点としての役割から、戦後の復興と経済発展に至るまで、むつ市の歴史は大湊海軍とともに歩んできました。
また、先述したむつ市の人気ご当地グルメ「大湊海自カレー」は、実際に大湊基地の艦艇で提供されているカレーのレシピをもとにつくられています。このように海上自衛隊大湊地方隊は、地域の活性化にも貢献しています。
大湊の歴史を振り返るとき、海軍や基地の存在は欠かせません。戦争の記憶や平和への祈りを込めて、大湊は、むつ市は、今もなお海軍の町としてその歴史を刻み続けているのです。